調査分析報道・資料倉庫 BY オフイス・マツナガ著作権切れ著作学問のすすめ5 福沢諭吉

学問のすすめ5
福沢諭吉

出典:インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

十一編〜十三編

 

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)貴賤《きせん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)外国|交易《こうえき》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+畜」、第3水準1-84-85]
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底本:「日本の名著 33 福沢諭吉」中公バックス、中央公論社
   1984(昭和59)年7月20日初版発行
底本の親本:「福沢諭吉全集 第三巻」岩波書店
   1959(昭和34)年4月
初出:「学問のすすめ」
   1872(明治5)年2月初編発行
入力:任天堂株式会社
校正:松永正敏
2008年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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 十一編

 

   名分をもって偽君子を生ずるの論

 第八編に、上下貴賤の名分《めいぶん》よりして夫婦・親子の間に生じたる弊害の例を示し、「その害の及ぶところはこのほかにもなお多し」との次第を記せり。そもそもこの名分のよって起こるところを案ずるに、その形は強大の力をもって小弱を制するの義に相違なしといえども、その本意は必ずしも悪念より生じたるにあらず。畢竟《ひっきょう》世の中の人をば悉皆《しっかい》愚にして善なるものと思い、これを救い、これを導き、これを教え、これを助け、ひたすら目上の人の命《めい》に従いて、かりそめにも自分の了簡を出ださしめず、目上の人はたいてい自分に覚えたる手心にて、よきように取り計らい、一国の政事も、一村の支配も、店の始末も、家の世帯も、上下心を一にして、あたかも世の中の人間交際を親子の間柄のごとくになさんとする趣意なり。
 譬《たと》えば十歳前後の子供を取り扱うには、もとよりその了簡を出ださしむべきにあらず、たいてい両親の見計らいにて衣食を与え、子供はただ親の言に戻《もと》らずしてその指図《さしず》にさえ従えば、寒き時にはちょうど綿入れの用意あり、腹のへる時にはすでに飯の支度ととのい、飯と着物はあたかも天より降り来たるがごとく、わが思う時刻にその物を得て、何一つの不自由なく安心して家に居《お》るべし。両親は己《おの》が身にも易《か》えられぬ愛子なれば、これを教え、これを諭し、これを誉《ほ》むるも、これを叱るも、みな真の愛情より出でざるはなく、親子の間一体のごとくして、その快きこと譬えん方なし。すなわちこれ親子の交際にして、その際には上下の名分も立ち、かつて差しつかえあることなし。世の名分を主張する人はこの親子の交際をそのまま人間の交際に写し取らんとする考えにて、ずいぶん面白き工夫のようなれども、ここに大なる差しつかえあり。親子の交際はただ智力の熟したる実の父母と十歳ばかりの実の子供との間に行なわるべきのみ。他人の子供に対してはもとより叶《かな》い難し。たとい実の子供にても、もはや二十歳以上に至ればしだいにその趣を改めざるを得ず。いわんや年すでに長じて大人《おとな》となりたる他人と他人との間においてをや。とてもこの流儀にて交際の行なわるべき理なし。いわゆる願うべくして行なわれ難きものとはこのことなり。
 さて今、一国と言い、一村と言い、政府と言い、会社と言い、すべて人間の交際と名づくるものはみな大人と大人との仲間なり。他人と他人との付合いなり。この仲間付合いに実の親子の流儀を用いんとするもまた難きにあらずや。されども、たとい実には行なわれ難きことにても、これを行のうてきわめて都合よからんと心に想像するものは、その想像を実に施したく思うもまた人情の常にて、すなわちこれ世に名分なるものの起こりて専制の行なわるる所以なり。ゆえにいわく、名分の本《もと》は悪念より生じたるにあらず、想像によりてしいて造りたるものなり。
 アジヤ諸国においては、国君のことを民の父母と言い、人民のことを臣子または赤子《せきし》と言い、政府の仕事を牧民の職と唱えて、支那には地方官のことを何州の牧と名づけたることあり。この牧の字は獣類を養うの義なれば、一州の人民を牛羊のごとくに取り扱うつもりにて、その名目を公然と看板に掛けたるものなり。あまり失礼なる仕方にはあらずや。かく人民を子供のごとく、牛羊のごとく取り扱うといえども、前段にも言えるとおり、そのはじめの本意は必ずしも悪念にあらず、かの実の父母が実の子供を養うがごとき趣向にて、第一番に国君を聖明なるものと定め、賢良方正の士を挙げてこれを輔《たす》け、一片の私心なく半点の我欲なく、清きこと水のごとく、直《なお》きこと矢のごとく、己が心を推して人に及ぼし、民を撫《ぶ》するに情愛を主とし、饑饉《ききん》には米を給し、火事には銭を与え、扶助救育して衣食住の安楽を得せしめ、上《かみ》の徳化は南風の薫ずるがごとく、民のこれに従うは草の靡《なび》くがごとく、その柔らかなるは綿のごとく、その無心なるは木石のごとく、上下合体ともに太平を謡《うた》わんとするの目論見《もくろみ》ならん。実に極楽の有様を模写したるがごとし。
 されどもよく事実を考うれば、政府と人民とはもと骨肉の縁あるにあらず、実に他人の付合いなり。他人と他人との付合いには情実を用ゆべからず、必ず規則約束なるものを作り、互いにこれを守りて厘毛の差を争い、双方ともにかえって円《まる》く治まるものにて、これすなわち国法の起こりし所以なり。かつ右のごとく、聖明の君と賢良の士と柔順なる民とその注文はあれども、いずれの学校に入れば、かく無疵《むきず》なる聖賢を造り出だすべきや、なんらの教育を施せばかく結構なる民を得べきや、唐人も周の世以来しきりにここに心配せしことならんが、今日まで一度も注文どおりに治まりたる時はなく、とどのつまりは今のとおりに外国人に押し付けられたるにあらずや。
 しかるにこの意味を知らずして、きかぬ薬を再三飲むがごとく、小刀細工の仁政を用い、神ならぬ身の聖賢が、その仁政に無理を調合してしいて御恩を蒙らしめんとし、御恩は変じて迷惑となり、仁政は化して苛法となり、なおも太平を謡わんとするか。謡わんと欲せばひとり謡いて可なり。これを和する者はなかるべし。その目論見こそ迂遠なれ。実に隣ながらも捧腹《ほうふく》に堪えざる次第なり。
 この風儀はひとり政府のみに限らず、商家にも、学塾にも、宮にも、寺にも行なわれざるところなし。今その一例を挙げて言わん。店中に旦那が一番の物知りにて、元帳を扱う者は旦那一人、したがって番頭あり、手代ありて、おのおのその職分を勤むれども、番頭・手代は商売全体の仕組みを知ることなく、ただ喧《やかま》しき旦那の指図に任せて、給金も指図次第、仕事も指図次第、商売の損得は元帳を見て知るべからず、朝夕旦那の顔色を窺《うかが》い、その顔に笑《え》みを含むときは商売の当たり、眉の上に皺をよするときは商売の外《はず》れと推量するくらいのことにて、なんの心配もあることなし。
 ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって極内《ごくない》の仕事を行なわんとするの一事のみ。鷲《わし》に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一偏の忠助と思いのほかに、駆落《かけお》ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞《ほら》のごとき大穴をあけ、はじめて人物の頼み難きを歎息するのみ。されどもこは人物の頼み難きにあらず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。その忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡《ふりょうけん》と言うべきなり。
 右のごとく上下貴賤の名分を正し、ただその名のみを主張して専制の権を行なわんとするの原因よりして、その毒の吹き出すところは人間に流行する欺詐《ぎさ》術策の容体なり。この病に罹《かか》る者を偽君子と名づく。譬《たと》えば封建の世に大名の家来は表向きみな忠臣のつもりにて、その形を見れば君臣上下の名分を正し、辞儀をするにも敷居《しきい》一筋の内外《うちそと》を争い、亡君の逮夜《たいや》には精進《しょうじん》を守り、若殿の誕生には上下《かみしも》を着し、年頭の祝儀、菩提所《ぼだいしょ》の参詣《さんけい》、一人も欠席あることなし。その口吻《こうふん》にいわく、「貧は士の常、尽忠報国」またいわく、「その食を食《は》む者はその事に死す」などと、たいそうらしく言い触らし、すはといわば今にも討死《うちじに》せん勢いにて、ひととおりの者はこれに欺かるべき有様なれども、竊《ひそか》に一方より窺えば、はたして例の偽君子なり。
 大名の家来によき役儀を勤むる者あれば、その家に銭のできるは何ゆえぞ。定まりたる家禄と定まりたる役料にて一銭の余財も入るべき理なし。しかるに出入《しゅつにゅう》差引きして余りあるははなはだ怪しむべし。いわゆる役得にもせよ、賄賂《わいろ》にもせよ、旦那の物をせしめたるに相違はあらず。そのもっともいちじるしきものを挙げて言えば、普請奉行が大工に割前《わりまえ》を促《うなが》し、会計の役人が出入りの町人より付け届けを取るがごときは、三百諸侯の家にほとんど定式《じょうしき》の法のごとし。旦那のためには御馬前に討死さえせんと言いし忠臣義士が、その買物の棒先《ぼうさき》を切るとはあまり不都合ならずや。金箔付きの偽君子と言うべし。
 あるいはまれに正直なる役人ありて賄賂《わいろ》の沙汰も聞こえざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実はわずかに銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとてさまで誉《ほ》むべきことにあらず。ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑《まじ》るゆえ、格別に目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本《もと》を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、その弊ついに専制抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛《か》まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐るべきにあらずや。
 或る人いわく、「かくのごとく人民不実の悪例のみを挙ぐれば際限もなきことなれども、悉皆《しっかい》然るにもあらず。わが日本は義の国にて、古来義士の身を棄てて君のためにしたる例ははなはだ多し」と。答えていわく、「まことに然り、古来義士なきにあらず、ただその数少なくして算当に合わぬなり。元禄年中は義気の花盛りとも言うべき時代なり。この時に赤穂七万石の内に義士四十七名あり。七万石の領分におよそ七万の人口あるべし。七万の内に四十七あれば、七百万の内には四千七百あるべし。物|換《か》わり星移り、人情はしだいに薄く、義気も落花の時節となりたるは、世人の常に言うところにて相違もあらず。ゆえに元禄年中より人の義気に三割を減じて七掛けにすれば、七百万につき三千二百九十の割合なり。今、日本の人口を三千万となし義士の数は一万四千百人なるべし。この人数にて日本国を保護するに足るべきや。三歳の童子にも勘定《かんじょう》はできることならん」
 右の議論によれば名分は丸つぶれの話なれども、念のためここに一言を足さん。名分とは虚飾の名目を言うなり。虚名とあれば上下貴賤|悉皆《しっかい》無用のものなれども、この虚飾の名目と実の職分とを入れ替えにして、職分をさえ守ればこの名分も差しつかえあることなし。すなわち政府は一国の帳場にして、人民を支配するの職分あり。人民は一国の金主にして、国用を給するの職分あり。文官の職分は政法を議定するにあり。武官の職分は命ずるところに赴きて戦うにあり。このほか、学者にも町人にもおのおの定まりたる職分あらざるはなし。
 しかるに半解半知の飛び揚がりものが、名分は無用と聞きて、早くすでにその職分を忘れ、人民の地位にいて政府の法を破り、政府の命をもって人民の産業に手を出だし、兵隊が政《まつりごと》を議してみずから師《いくさ》を起こし、文官が腕の力に負けて武官の指図に任ずる等のことあらば、これこそ国の大乱ならん。自主自由のなま噛《かじ》りにて無政無法の騒動なるべし。名分と職分とは文字こそ相似たれ、その趣意はまったく別物なり。学者これを誤り認むることなかれ。
[#改段]

 十二編

 

   演説の法を勧むるの説

 演説とは英語にてスピイチと言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にてわが思うところを人に伝うるの法なり。わが国には古《いにしえ》よりその法あるを聞かず、寺院の説法などはまずこの類なるべし。西洋諸国にては演説の法もっとも盛んにして、政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合《よりあ》いより、冠婚葬祭、開業・開店等の細事に至るまでも、わずかに十数名の人を会することあれば、必ずその会につき、あるいは会したる趣意を述べ、あるいは人々|平生《へいぜい》の持論を吐き、あるいは即席の思い付きを説きて、衆客に披露するの風なり。この法の大切なるはもとより論を俟《ま》たず。譬《たと》えば今、世間にて議院などの説あれども、たとい院を開くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし。
 演説をもって事を述ぶれば、その事柄の大切なると否とはしばらく擱《お》き、ただ口上をもって述ぶるの際におのずから味を生ずるものなり。譬えば文章に記《しる》せばさまで意味なきことにても、言葉をもって述ぶればこれを了解すること易《やす》くして人を感ぜしむるものあり。古今に名高き名詩名歌というものもこの類にて、この詩歌を尋常の文に訳すれば絶えておもしろき味もなきがごとくなれども、詩歌の法に従いてその体裁を備うれば、限りなき風致を生じて衆心を感動せしむべし。ゆえに一人の意を衆人に伝うるの速やかなると否とは、そのこれを伝うる方法に関することはなはだ大なり。
 学問はただ読書の一科にあらずとのことは、すでに人の知るところなれば今これを論弁するに及ばず。学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し。在昔《ざいせき》或る朱子学の書生、多年江戸に修業して、その学流につき諸大家の説を写し取り、日夜怠らずして数年の間にその写本数百巻を成し、もはや学問も成業したるがゆえに故郷へ帰るべしとて、その身は東海道を下り、写本は葛籠《つづら》に納めて大回しの船に積み出《い》だせしが、不幸なるかな、遠州|洋《なだ》において難船に及びたり。この災難によりて、かの書生もその身は帰国したれども、学問は悉皆《しっかい》海に流れて心身に付したるものとてはなに一物もあることなく、いわゆる本来無一物にて、その愚はまさしく前日に異なることなかりしという話あり。
 今の洋学者にもまたこの懸念なきにあらず。今日都会の学校に入りて読書議論の様子を見れば、これを評して学者と言わざるを得ず。されども今にわかにその原書を取り上げてこれを田舎に放逐することあらば、親戚、朋友に逢うて「わが輩の学問は東京に残し置きたり」と言い訳するなどの奇談もあるべし。
 ゆえに学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫《くふう》なかるべからず。オブセルウェーションとは事物を視察することなり。リーゾニングとは事物の道理を推究して自分の説を付くることなり。この二ヵ条にてはもとよりいまだ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。なおこのほかに書を読まざるべからず、書を著わさざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かいて言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽くしてはじめて学問を勉強する人と言うべし。すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。然りしこうしてこの諸術のうちに、あるいは一人の私《わたくし》をもって能《よ》くすべきものありといえども、談話と演説とに至りては必ずしも人とともにせざるを得ず。演説会の要用なることもって知るべきなり。
 方今わが国民においてもっとも憂うべきはその見識の賤《いや》しきことなり。これを導きて高尚の域に進めんとするはもとより今の学者の職分なれば、いやしくもその方便あるを知らば力を尽くしてこれに従事せざるべからず。しかるに学問の道において、談話、演説の大切なるはすでに明白にして、今日これを実に行なう者なきはなんぞや。学者の懶惰《らんだ》と言うべし。人間の事には内外両様の別ありて、両《ふたつ》ながらこれを勉めざるべからず。今の学者は内の一方に身を委《まか》して、外の務めを知らざる者多し。これを思わざるべからず。私に沈深なるは淵《ふち》のごとく、人に接して活発なるは飛鳥のごとく、その密なるや内なきがごとく、その豪大なるや外なきがごとくして、はじめて真の学者と称すべきなり。

   人の品行は高尚ならざるべからざるの論

 前条に「方今わが国においてもっとも憂うべきは人民の見識いまだ高尚ならざるの一事なり」と言えり。人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきにあらず。禅家に悟道などの事ありて、その理すこぶる玄妙なる由なれども、その僧侶の所業を見れば、迂遠にして用に適せず、事実においては漠然としてなんらの見識もなき者に等し。
 また人の見識、品行はただ聞見の博《ひろ》きのみにて高尚なるべきにあらず。万巻の書を読み、天下の人に交わり、なお一己《いっこ》の定見なき者あり。古習を墨守する漢儒者のごときこれなり。ただ儒者のみならず、洋学者といえどもこの弊を免れず。いま西洋日新の学に志し、あるいは経済書を読み、あるいは修身論を講じ、あるいは理学、あるいは智学、日夜精神を学問に委《ゆだ》ねて、その状あたかも荊棘《けいきょく》の上に坐《ざ》して刺衝《ししょう》に堪ゆべからざるのはずなるに、その人の私につきてこれを見ればけっして然らず、眼に経済書を見て一家の産を営むを知らず、口に修身論を講じて一身の徳を修むるを知らず、その所論とその所行とを比較するときは、まさしく二個の人あるがごとくして、さらに一定の見識あるを見ず。
 畢竟《ひっきょう》この輩の学者といえども、その口に講じ、眼に見るところの事をばあえて非となすにはあらざれども、事物の是《ぜ》を是とするの心と、その是を是としてこれを事実に行なうの心とは、まったく別のものにて、この二つの心なるものあるいは並び行なわるることあり、あるいは並び行なわれざることあり。「医師の不養生」といい、「論語読みの論語知らず」という諺《ことわざ》もこれらの謂《いい》ならん。ゆえにいわく、人の見識、品行は玄理を談じて高尚なるべきにあらず、また聞見を博くするのみにて、高尚なるべきにあらざるなり。
 しからばすなわち、人の見識を高尚にして、その品行を提起するの法いかがすべきや。その要訣は事物の有様を比較して上流に向かい、みずから満足することなきの一事にあり。ただし有様を比較するとはただ一事一物を比較するにあらず、この一体の有様と、かの一体の有様とを並べて、双方の得失を残らず察せざるべからず。譬《たと》えば今、少年の生徒、酒色に溺《おぼ》るるの沙汰もなくして謹慎勉強すれば、父兄・長老に咎《とが》めらるることなく、あるいは得意の色をなすべきに似たれども、その得色はただ他の無頼生に比較してなすべき得色のみ。謹慎勉強は人類の常なり、これを賞するに足らず、人生の約束は別にまた高きものなかるべからず。広く古今の人物を計《かぞ》え、誰に比較して誰の功業に等しきものをなさばこれに満足すべきや。必ず上流の人物に向かわざるべからず。あるいは我に一得あるも彼に二得あるときは、我はその一得に安んずるの理なし。いわんや後進は先進に優《まさ》るべき約束なれば、古《いにしえ》を空しゅうして比較すべき人物なきにおいてをや。今人《こんじん》の職分は大にして重しと言うべし。
 しかるに今わずかに謹慎勉強の一事をもって人類生涯の事となすべきや。思わざるのはなはだしきものなり。人として酒色に溺るる者はこれを非常の怪物と言うべきのみ。この怪物に比較して満足する者は、これを譬えば双眼を具するをもって得意となし、盲人に向かいて誇るがごとし。いたずらに愚を表するに足るのみ。ゆえに酒色云々の談をなして、あるいはこれを論破し、あるいはこれを是非するの間は、到底諸論の賤《いや》しきものと言わざるを得ず。人の品行少しく進むときはこれらの醜談はすでにすでに経過し了して、言に発するも人に厭《いと》わるるに至るべきはずなり。
 方今日本にて学校を評するに、「この学校の風俗はかくのごとし。かの学塾の取締りは云々」とて、世の父兄はもっぱらこの風俗取締りの事に心配せり。そもそも風俗取締りとはなんらの箇条をさして言うか。塾法厳にして生徒の放蕩無頼を防ぐにつき、取締りの行き届きたることを言うならん。これを学問所の美事と称すべきか。余輩はかえってこれを羞《は》ずるなり。西洋諸国の風俗けっして美なるにあらず、あるいはその醜見るに忍びざるもの多しといえども、その国の学校を評するに、風俗の正しきと取締りの行き届きたるとのみによりて名誉を得るものあるを聞かず。
 学校の名誉は学科の高尚なると、その教法の巧みなると、その人物の品行高くして、議論の賤しからざるとによるのみ。ゆえに今の学校を支配して今の学校に学ぶ者は、他の賤しき学校に比較せずして、世界中上流の学校を見て得失を弁ぜざるべからず。風俗の美にして取締りの行き届きたるも学校の一得と言うべしといえども、その得は学校たるもののもっとも賤しむべき部分の得なれば、毫《ごう》もこれを誇るに足らず。上流の学校に比較せんとするには別に勉むるところなかるべからず。ゆえに学校の急務としていわゆる取締りの事を談ずるの間は、たといその取締りはよく行き届くも、けっしてその有様に満足すべからざるなり。
 一国の有様をもって論ずるもまたかくのごとし。譬《たと》えばここに一政府あらん。賢良方正の士を挙げて政《まつりごと》を任し、民の苦楽を察して適宜の処置を施し、信賞必罰、恩威行なわれざるところなく、万民腹を鼓して太平を謡うがごときは、まことに誇るべきに似たり。然りといえども、その賞罰と言い、恩威といい、万民といい、太平というも、悉皆《しっかい》一国内の事なり、一人あるいは数人の意に成りたるものなり。その得失はその国の前代に比較するか、または他の悪政府に比較して誇るべきのみにて、けっしてその国悉皆の有様を詳《つまび》らかにして他国と相対し、一より十に至るまで比較したるものにあらず。もし一国を全体の一物とみなして他の文明の一国に比較し、数十年の間に行なわるる双方の得失を察して互いに加減乗除し、その実際に見《あら》われたるところの損益を論ずることあらば、その誇るところのものはけっして誇るに足らざるものならん。
 譬えばインドの国体旧ならざるにあらず、その文物の開けたるは西洋紀元の前数千年にありて、理論の精密にして玄妙なるは、おそらくは今の西洋諸国の理学に比して恥ずるなきもの多かるべし。また在昔トルコの政府も、威権もっとも強盛にして、礼楽征伐の法、斉整ならざるはなし。君長賢明ならざるにあらず、廷臣方正ならざるにあらず。人口の衆多なること兵士の武勇なること近国に比類なくして、一時はその名誉を四方に燿《かがや》かしたることあり。ゆえにインドとトルコとを評すれば、甲は有名の文国にして、乙は武勇の大国と言わざるを得ず。
 しかるに方今この二大国の有様を見るに、インドはすでに英国の所領に帰してその人民は英政府の奴隷に異ならず、今のインド人の業はただ阿片を作りて支那人を毒殺し、ひとり英商をしてその間に毒薬売買の利を得せしむるのみ。トルコの政府も名は独立と言うといえども、商売の権は英仏の人に占められ、自由貿易の功徳《くどく》をもって国の物産は日に衰微し、機《はた》を織る者もなく、器械を製する者もなく、額に汗して土地を耕すか、または手を袖にしていたずらに日月を消するのみにて、いっさいの製作品は英仏の輸入を仰ぎ、また国の経済を治むるに由なく、さすがに武勇なる兵士も貧乏に制せられて用をなさずと言う。
 右のごとく、インドの文も、トルコの武も、かつてその国の文明に益せざるはなんぞや。その人民の所見わずかに一国内にとどまり、自国の有様に満足し、その有様の一部分をもって他国に比較し、その間に優劣なきを見てこれに欺かれ、議論もここに止まり、徒党もここに止まり、勝敗栄辱ともに他の有様の全体を目的とすることを知らずして、万民太平を謡うか、または兄弟《けいてい》墻《かき》に鬩《せめ》ぐのその間に、商売の権威に圧しられて国を失うたるものなり。洋商の向かうところはアジヤに敵なし。恐れざるべからず。もしこの勁敵《けいてき》を恐れて、兼ねてまたその国の文明を慕うことあらば、よく内外の有様を比較して勉むるところなかるべからず。
[#改段]

 十三編

 

   怨望の人間に害あるを論ず

 およそ人間に不徳の筒条多しといえども、その交際に害あるものは怨望《えんぼう》より大なるはなし。貪吝《たんりん》、奢侈《しゃし》、誹謗《ひぼう》の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、よくこれを吟味すれば、その働きの素質において不善なるにあらず。これを施すべき場所柄と、その強弱の度と、その向かうところの方角とによりて、不徳の名を免るることあり。譬《たと》えば銭を好んで飽くことを知らざるを貪吝と言う。されども銭を好むは人の天性なれば、その天性に従いて十分にこれを満足せしめんとするもけっして咎《とが》むべきにあらず。ただ理外の銭を得んとしてその場所を誤り、銭を好むの心に限度なくして理の外に出《い》で、銭を求むるの方向に迷うて理に反するときは、これを貪吝の不徳と名づくるのみ。ゆえに銭を好む心の働きを見て、直ちに不徳の名をくだすべからず。その徳と不徳との分界には一片の道理なるものありて、この分界の内にあるものはすなわちこれを節倹と言い、また経済と称して、まさに人間の勉《つと》むべき美徳の一ヵ条なり。
 奢侈もまたかくのごとし。ただ身の分限を越ゆると否とによりて、徳不徳の名をくだすべきのみ。軽暖を着て安宅に居《お》るを好むは人の性情なり。天理に従いてこの情欲を慰むるに、なんぞこれを不徳と言うべけんや。積んでよく散じ、散じて則《のり》を踰《こ》えざる者は、人間の美事と称すべきなり。
 また誹謗と弁駁《べんばく》とその間に髪《はつ》を容《い》るべからず。他人に曲を誣《し》うるものを誹謗と言い、他人の惑いを解きてわが真理と思うところを弁ずるものを弁駁と名づく。ゆえに世にいまだ真実|無妄《むもう》の公道を発明せざるの間は、人の議論もまた、いずれを是としていずれを非とすべきやこれを定むべからず。是非いまだ定まらざるの間は仮りに世界の衆論をもって公道となすべしといえども、その衆論のあるところを明らかに知ることはなはだ易《やす》からず。ゆえに他人を誹謗する者を目して直ちにこれを不徳者と言うべからず。そのはたして誹謗なるか、または真の弁駁なるかを区別せんとするには、まず世界中の公道を求めざるべからず。
 右のほか、驕傲《きょうごう》と勇敢と、粗野と率直と、固陋《ころう》と実着と、浮薄と穎敏《えいびん》と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足するの法を求めずして、かえって他人を不幸に陥《おとしい》れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。いわゆるこれを悪《にく》んでその死を欲するとはこのことなり。ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。
 或る人いわく、「欺詐《ぎさ》虚言の悪事も、その実質において悪なるものなれば、これを怨望に比していずれか軽重の別あるべからず」と。答えていわく、「まことに然るがごとしといえども、事の原因と事の結果とを区別すれば、おのずから軽重の別なしと言うべからず。欺詐虚言はもとより太悪事たりといえども、必ずしも怨望を生ずるの原因にはあらずして、多くは怨望によりて生じたる結果なり。怨望はあたかも衆悪の母のごとく、人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし。疑猜《ぎさい》、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、みな怨望より生ずるものにて、その内形に見《あら》わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫《しゅうごう》も国に益すことなくして、禍《わざわい》の全国に波及するに至りては主客ともに免るることを得ず。いわゆる公利の費をもって私を逞《たくま》しゅうするものと言うべし」
 怨望の人間交際に害あることかくのごとし。今その原因を尋ぬるに、ただ窮の一事にあり。ただしその窮とは困窮、貧窮等の窮にあらず、人の言路を塞《ふさ》ぎ、人の業作《ぎょうさ》を妨ぐる等のごとく、人類天然の働きを窮せしむることなり。貧窮、困窮をもって怨望の源とせば、天下の貧民は悉皆《しっかい》不平を訴え、富貴はあたかも怨みの府にして、人間の交際は一日も保つべからざるはずなれども、事実においてけっして然らず、いかに貧賤《ひんせん》なる者にても、その貧にして賤《いや》しき所以《ゆえん》の原因を知り、その原因の己が身より生じたることを了解すれば、けっしてみだりに他人を怨望するものにあらず。その証拠はことさらに掲示するに及ばず、今日世界中に貧富・貴賤の差ありて、よく人間の交際を保つを見て、明らかにこれを知るべし。ゆえにいわく、富貴は怨みの府にあらず、貧賤は不平の源にあらざるなり。
 これによりて考うれば怨望は貧賤によりて生ずるものにあらず。ただ人類天然の働きを塞《ふさ》ぎて、禍福の来去みな偶然に係るべき地位においてはなはだしく流行するのみ。昔孔子が「女子と小人《しょうにん》とは近づけ難し、さてさて困り入りたることかな」とて歎息したることあり。今をもって考うるに、これ夫子みずから事を起こしてみずからその弊害を述べたるものと言うべし。人の心の性は男子も女子も異なるの理なし。また小人とは下人《げにん》と言うことならんか。下人の腹から出でたる者は必ず下人と定まりたるにあらず。下人も貴人も生まれ落ちたる時の性に異同あらざるはもとより論を俟《ま》たず。しかるにこの女子と下人とに限りて取扱いに困るとは何ゆえぞ。平生卑屈の旨《むね》をもってあまねく人民に教え、小弱なる婦人・下人の輩を束縛して、その働きに毫《ごう》も自由を得せしめざるがために、ついに怨望の気風を醸成し、その極度に至りてさすがに孔子さまも歎息せられたることなり。
 元来人の性情において働きに自由を得ざれば、その勢い必ず他を怨望せざるを得ず。因果応報の明らかなるは、麦を蒔《ま》きて麦の生ずるがごとし。聖人の名を得たる孔夫子がこの理を知らず、別に工夫もなくしていたずらに愚痴をこぼすとはあまりたのもしからぬ話なり。そもそも孔子の時代は明治を去ること二千有余年、野蛮|草昧《そうまい》の世の中なれば、教えの趣意もその時代の風俗人情に従い、天下の人心を維持せんがためには、知りてことさらに束縛するの権道なかるべからず。もし孔子をして真の聖人ならしめ、万世の後を洞察するの明識あらしめなば、当時の権道をもって必ず心に慊《こころよ》しとしたることはなかるべし。ゆえに後世の孔子を学ぶ者は、時代の考えを勘定のうちに入れて取捨せざるべからず。二千年前に行なわれたる教えをそのままに、しき写しして明治年間に行なわんとする者は、ともに事物の相場を談ずべからざる人なり。
 また近く一例を挙げて示さんに、怨望の流行して交際を害したるものは、わが封建の時代に沢山なる大名の御殿女中をもって最《さい》とす。そもそも御殿の大略を言えば、無識無学の婦女子群居して無智無徳の一主人に仕え、勉強をもって賞せらるるにあらず、懶惰《らんだ》によりて罰せらるるにあらず、諫《いさ》めて叱らるることもあり、諫めずして叱らるることもあり、言うも善し言わざるも善し、詐《いつわ》るも悪し詐らざるも悪し、ただ朝夕の臨機応変にて主人の寵愛を僥倖《ぎょうこう》するのみ。
 その状あたかも的《まと》なきに射るがごとく、当たるも巧なるにあらず、当たらざるも拙なるにあらず、まさにこれを人間外の一|乾坤《けんこん》と言うも可なり。この有様のうちに居《お》れば、喜怒哀楽の心情必ずその性を変じて、他の人間世界に異ならざるを得ず。たまたま朋輩に立身する者あるも、その立身の方法を学ぶに由《よし》なければ、ただこれを羨むのみ。これを羨むのあまりにはただこれを嫉《ねた》むのみ。朋輩を嫉み、主人を怨望するに忙《いそが》わしければ、なんぞお家のおんためを思うに遑《いとま》あらん。忠信節義は表向きの挨拶のみにて、その実は畳に油をこぼしても、人の見ぬところなれば拭《ぬぐ》いもせずに捨て置く流儀となり、はなはだしきは主人の一命にかかる病の時にも、平生、朋輩の睨《にら》み合いにからまりて、思うままに看病をもなし得ざる者多し。なお一歩を進めて怨望嫉妬の極度に至りては、毒害の沙汰もまれにはなきにあらず。古来もしこの大悪事につきその数を記したるスタチスチクの表ありて、御殿に行なわれたる毒害の数と、世間に行なわれたる毒害の数とを比較することあらば、御殿に悪事の盛んなること断じて知るべし。怨望の禍《わざわい》豈《あに》恐怖すべきにあらずや。
 右御殿女中の一例を見ても大抵、世の中の有様は推して知るべし。人間最大の禍は怨望にありて、怨望の源は窮より生ずるものなれば、人の言路は開かざるべからず、人の業作は妨ぐべからず。試みに英亜諸国の有様とわが日本の有様とを比較して、その人間の交際において、いずれかよくかの御殿の趣を脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目してまったく御殿に異ならずと言うにはあらざれども、その境界《きょうがい》を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず。英亜の人民、貪吝驕奢ならざるにあらず、粗野乱暴ならざるにあらず、あるいは詐る者あり、あるいは欺く者ありて、その風俗けっして善美ならずといえども、ただ怨望隠伏の一事に至りては必ずわが国と趣を異にするところあるべし。
 今、世の識者に民選議院の説あり、また出版自由の論あり。その得失はしばらく擱《お》き、もともとこの論説の起こる所以を尋ぬるに、識者の所以はけだし今の日本国中をして古《いにしえ》の御殿のごとくならしめず、今の人民をして古の御殿女中のごとくならしめず、怨望に易《か》うるに活動をもってし、嫉妬の念を絶ちて相競うの勇気を励まし、禍福譏誉ことごとくみな自力をもってこれを取り、満天下の人をして自業自得ならしめんとするの趣意なるべし。
 人民の言路を塞《ふさ》ぎ、その業作を妨ぐるは、もっぱら政府上に関して、にわかにこれを聞けば、ただ政治に限りたる病のごとくなれども、この病は必ずしも政府のみに流行するものにあらず、人民の間にも行なわれて、毒を流すこともっともはなはだしきものなれば、政治のみを改革するもその源《みなもと》を除くべきにあらず。今また数言を巻末に付し、政府のほかにつきてこれを論ずべし。
 元来人の性は交わりを好むものなれども、習慣によればかえってこれを嫌うに至るべし。世に変人奇物とて、ことさらに山村|僻邑《へきゆう》におり世の交際を避くる者あり。これを隠者と名づく。あるいは真の隠者にあらざるも、世間の付合いを好まずして一家に閉居し、俗塵を避くるなどとて得意の色をなす者なきにあらず。この輩の意を察するに、必ずしも政府の所置を嫌うのみにて身を退《しりぞ》くるにあらず、その心志|怯弱《きょうじゃく》にして物に接するの勇なく、その度量狭小にして人を容《い》るること能《あた》わず、人を容るること能わざれば人もまたこれを容れず、彼も一歩を退け我もまた一歩を退け、歩々相遠ざかりてついに異類の者のごとくなり、後には讐敵《しゅうてき》のごとくなりて、互いに怨望するに至ることあり。世の中に大なる禍《わざわい》と言うべし。
 また人間の交際において、相手の人を見ずしてそのなしたる事を見るか、もしくはその人の言を遠方より伝え聞きて、少しくわが意に叶わざるものあれば、必ず同情相|憐《あわ》れむの心をば生ぜずして、かえってこれを忌み嫌うの念を起こし、これを悪《にく》んでその実に過ぐること多し。これまた人の天性と習慣とによりて然るものなり。物事の相談に伝言、文通にて整わざるものも直談にて円《まる》く治まることあり。また人の常の言に、「実はかくかくのわけなれども、面と向かいてはまさかさようにも」ということあり。すなわちこれ人類の至情にて、堪忍の心のあるところなり。すでに堪忍の心を生ずるときは、情実互いに相通じて怨望嫉妬の念はたちまち消散せざるを得ず。古今に暗殺の例少なからずといえども、余常に言えることあり、「もし好機会ありてその殺すものと殺さるる者とをして数日の間同処に置き、互いに隠すところなくしてその実の心情を吐かしむることあらば、いかなる讐敵にても必ず相和するのみならず、あるいは無二の朋友たることもあるべし」と。
 右の次第をもって考うれば、言路を塞ぎ、業作を妨ぐるのことは、ひとり政府のみの病にあらず、全国人民の間に流行するものにて、学者といえども、あるいはこれを免れ難し。人生活発の気力は物に接せざれば生じ難し。自由に言わしめ、自由に働かしめ、富貴も貧賤もただ本人のみずから取るにまかして、他よりこれを妨ぐべからざるなり。
[#改段]


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