調査分析報道・資料倉庫 BY オフイス・マツナガ著作権切れ著作学問のすすめ2 福沢諭吉

学問のすすめ2
福沢諭吉

出典:インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

四編〜五編

 

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)貴賤《きせん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)外国|交易《こうえき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+畜」、第3水準1-84-85]
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底本:「日本の名著 33 福沢諭吉」中公バックス、中央公論社
   1984(昭和59)年7月20日初版発行
底本の親本:「福沢諭吉全集 第三巻」岩波書店
   1959(昭和34)年4月
初出:「学問のすすめ」
   1872(明治5)年2月初編発行
入力:任天堂株式会社
校正:松永正敏
2008年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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 四編

 

   学者の職分を論ず

 近来ひそかに識者の言を聞くに、「今後日本の盛衰は人智をもって明らかに計り難しといえども、つまり、その独立を失うの患《うれ》いはなかるべしや、方今目撃するところの勢いによりてしだいに進歩せば、必ず文明盛大の域に至るべしや」と言いて、これを問う者あり。あるいは「その独立の保つべきと否とは、今より二、三十年を過ぎざれば明らかにこれを期すること難《かた》かるべし」と言いて、これを疑う者あり。あるいははなはだしくこの国を蔑視《べっし》したる外国人の説に従えば、「とても日本の独立は危し」と言いて、これを難《かたん》ずる者あり。もとより人の説を聞いてにわかにこれを信じわが望みを失するにはあらざれども、畢竟《ひっきょう》この諸説はわが独立の保つべきと否とについての疑問なり。事に疑いあらざれば問いのよって起こるべき理なし。今試みに英国に行き、「ブリテンの独立保つべきや否や」と言いてこれを問わば、人みな笑いて答うる者なかるべし。その答うる者なきはなんぞや、これを疑わざればなり。しからばすなわちわが国文明の有様、今日をもって昨日に比すればあるいは進歩せしに似たることあるも、その結局に至りてはいまだ一点の疑いあるを免れず。いやしくもこの国に生まれて日本人の名ある者は、これに寒心せざるを得んや。今わが輩もこの国に生まれて日本人の名あり、すでにその名あればまたおのおのその分を明らかにして尽くすところなかるべからず。もとより政の字の義に限りたることをなすは政府の任なれども、人間の事務には政府の関わるべからざるものもまた多し。ゆえに一国の全体を整理するには、人民と政府と両立してはじめてその成功を得《う》べきものなれば、わが輩は国民たるの分限を尽くし、政府は政府たるの分限を尽くし、互いに相助けもって全国の独立を維持せざるべからず。
 すべて物を維持するには力の平均なかるべからず。譬《たと》えば人身のごとし。これを健康に保たんとするには、飲食なかるべからず、大気、光線なかるべからず、寒熱、痛痒《つうよう》、外より刺衝《ししょう》して内よりこれに応じ、もって一身の働きを調和するなり。今にわかにこの外物の刺衝を去り、ただ生力の働くところにまかしてこれを放頓《ほうとん》することあらば、人身の健康は一日も保つべからず。国もまた然《しか》り。政《まつりごと》は一国の働きなり。この働きを調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず。ゆえに政府はなお生力のごとく、人民はなお外物の刺衝のごとし。今にわかにこの刺衝を去り、ただ政府の働くところにまかしてこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つべからず。いやしくも人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。
 方今わが国の形勢を察し、その外国に及ばざるものを挙ぐれば、いわく学術、いわく商売、いわく法律、これなり。世の文明はもっぱらこの三者に関し、三者挙がらざれば国の独立を得ざること識者を俟《ま》たずして明らかなり。しかるにいまわが国において一もその体をなしたるものなし。
 政府一新の時より在官の人物、力を尽くさざるにあらず、その才力また拙劣なるにあらずといえども、事を行なうに当たり如何《いかん》ともすべからざるの原因ありて、意のごとくならざるもの多し。その原因とは人民の無知文盲すなわちこれなり。政府すでにその原因のあるところを知り、しきりに学術を勧め、法律を議し、商法を立つるの道を示す等、あるいは人民に説諭し、あるいはみずから先例を示し、百方その術を尽くすといえども、今日に至るまでいまだ実効の挙がるを見ず、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。あるいはわずかに進歩せしことあるも、これがため労するところの力と費やすところの金とに比すれば、その奏功見るに足るもの少なきはなんぞや。けだし一国の文明はひとり政府の力をもって進むべきものにあらざるなり。
 人あるいはいわく、「政府はしばらくこの愚民を御するに一時の術策を用い、その智徳の進むを待ちて後にみずから文明の域に入らしむるなり」と。この説は言うべくして行なうべからず。わが全国の人民数千百年専制の政治に窘《くる》しめられ、人々その心に思うところを発露すること能《あた》わず、欺きて安全を偸《ぬす》み、詐《いつわ》りて罪を遁《のが》れ、欺詐《ぎさ》術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払いて尽きたり、豈《あに》国を思うに遑《いとま》あらんや。政府はこの悪弊を矯《た》めんとしてますます虚威を張り、これを嚇《おど》しこれを叱し、強いて誠実に移らしめんとしてかえってますます不信に導き、その事情あたかも火をもって火を救うがごとし。ついに上下の間隔絶しておのおの一種無形の気風をなせり。その気風とはいわゆるスピリットなるものにて、にわかにこれを動かすべからず。近日に至り政府の外形は大いに改まりたれども、その専制抑圧の気風は今なお存せり。人民もやや権利を得るに似たれども、その卑屈不信の気風は依然として旧に異ならず。この気風は無形無体にして、にわかに一個の人につき一場の事を見て名状すべきものにあらざれども、その実の力ははなはだ強くして、世間全体の事跡に顕《あら》わるるを見れば、明らかにその虚にあらざるを知るべし。
 試みにその一を挙げて言わん。今、在官の人物少なしとせず、私《わたくし》にその言を聞きその行を見ればおおむねみな闊達大度の士君子にて、わが輩これを間然する能わざるのみならず、その言行あるいは慕うべきものあり。また一方より言えば平民といえども悉皆《しっかい》無気無力の愚民のみにあらず、万に一人は公明誠実の良民もあるべし。しかるに今この士君子、政府に会して政をなすに当たり、その為政の事跡を見ればわが輩の悦《よろこ》ばざるものはなはだ多く、またかの誠実なる良民も、政府に接すればたちまちその節を屈し、偽詐術策、もって官を欺き、かつて恥ずるものなし。この士君子にしてこの政を施し、この民にしてこの賤劣《せんれつ》に陥るはなんぞや。あたかも一身両頭あるがごとし。私にありては智なり、官にありては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。政府は衆智者の集まるところにして一愚人の事を行なうものと言うべし。豈《あに》怪しまざるを得んや。畢竟《ひっきょう》その然る所以はかの気風なるものに制せられて、人々みずから一個の働きを逞しゅうすること能わざるによりて致すところならんか。維新以来、政府にて学術、法律、商売等の道を興さんとして効験なきも、その病の原因はけだしここにあるなり。しかるにいま一時の術を用いて下民《かみん》を御《ぎょ》しその知徳の進むを待つとは、威をもって人を文明に強《し》ゆるものか、しからざれば欺きて善に帰せしむるの策なるべし。政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府|欺《ぎ》を用うれば人民は容《かたち》を作りてこれに従わんのみ。これを上策と言うべからず。たといその策は巧みなるも、文明の事実に施して益なかるべし。ゆえにいわく、世の文明を進むるにはただ政府の力のみに依頼すべからざるなり。
 右所論をもって考うれば、方今わが国の文明を進むるには、まずかの人心に浸潤したる気風を一掃せざるべからず。これを一掃するの法、政府の命をもってし難し、私の説諭をもってし難し、必ずしも人に先だって私に事をなし、もって人民のよるべき標的を示す者なかるべからず。今この標的となるべき人物を求むるに、農の中にあらず、商の中にあらず、また和漢の学者中にもあらず、その任に当たる者はただ一種の洋学者流あるのみ。
 しかるにまたこれに依頼すべからざるの事情あり。近来この流の人ようやく世間に増加し、あるいは横文を講じあるいは訳書を読み、もっぱら力を尽くすに似たりといえども、学者あるいは字を読みて義を解さざるか、あるいは義を解してこれを事実に施すの誠意なきか、その所業につきわが輩の疑いを存するもの少なからず。その疑いを存するとは、この学者士君子、みな官あるを知りて私あるを知らず、政府の上に立つの術を知りて、政府の下に居《お》るの道を知らざるの一事なり。畢竟、漢学者流の悪習を免れざるものにて、あたかも漢を体にして洋を衣にするがごとし。
 試みにその実証を挙げて言わん。方今世の洋学者流はおおむねみな官途につき、私に事をなす者はわずかに指を屈するに足らず。けだしその官にあるはただ利これ貪《むさぼ》るのためのみにあらず、生来の教育に先入してひたすら政府に眼を着し、政府にあらざればけっして事をなすべからざるものと思い、これに依頼して宿昔青雲の志を遂げんと欲するのみ。あるいは世に名望ある大家先生といえどもこの範囲を脱するを得ず。その所業あるいは賤《いや》しむべきに似たるも、その意は深く咎《とが》むるに足らず、けだし意の悪しきにあらず、ただ世間の気風に酔いてみずから知らざるなり。名望を得たる士君子にしてかくのごとし。天下の人|豈《あに》その風に倣《なら》わざるを得んや。
 青年の書生わずかに数巻の書を読めばすなわち官途に志し、有志の町人わずかに数百の元金あればすなわち官の名を仮りて商売を行なわんとし、学校も官許なり、説教も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許、およそ民間の事業、十に七、八は官の関せざるものなし。これをもって世の人心ますますその風に靡《なび》き、官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂《へつら》い、毫《ごう》も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体見るに忍びざることなり。譬えば方今出版の新聞紙および諸方の上書建白の類もその一例なり。出版の条令はなはだしく厳なるにあらざれども、新聞紙の面を見れば政府の忌諱《きき》に触るることは絶えて載《の》せざるのみならず、官に一毫の美事《びじ》あればみだりにこれを称誉してその実に過ぎ、あたかも娼妓《しょうぎ》の客に媚《こ》びるがごとし。またかの上書建白を見ればその文つねに卑劣を極《きわ》め、みだりに政府を尊崇すること鬼神のごとく、みずから賤しんずること罪人のごとくし、同等の人間世界にあるべからざる虚文を用い、恬《てん》として恥ずる者なし。この文を読みてその人を想えばただ狂人をもって評すべきのみ。しかるに今この新聞紙を出版し、あるいは政府に建白する者は、おおむねみな世の洋学者流にて、その私について見れば必ずしも娼妓にあらず、また狂人にもあらず。
 しかるにその不誠不実、かくのごときのはなはだしきに至る所以《ゆえん》は、いまだ世間に民権を首唱する実例なきをもって、ただかの卑屈の気風に制せられその気風に雷同して、国民の本色を見《あら》わし得ざるなり。これを概すれば、日本にはただ政府ありていまだ国民あらずと言うも可なり。ゆえにいわく、人民の気風を一洗して世の文明を進むるには、今の洋学者流にもまた依頼すべからざるなり。
 前条所記の論説はたして是《ぜ》ならば、わが国の文明を進めてその独立を維持するは、ひとり政府の能《よ》くするところにあらず。また今の洋学者流も依頼するに足らず、必ずわが輩の任ずるところにして、まずわれより事の端を開き、愚民の先をなすのみならず、またかの洋学者流のために先駆してその向かうところを示さざるべからず。今わが輩の身分を考うるに、その学識もとより浅劣なりといえども、洋学に志すこと日すでに久しく、この国にありては中人以上の地位にある者なり。輓近《ばんきん》世の改革も、もしわが輩の主として始めしことにあらざれば暗にこれを助けなしたるものなり。あるいは助成の力なきもその改革はわが輩の悦ぶところなれば、世の人もまたわが輩を目するに改革家流の名をもってすること必せり。すでに改革家の名ありて、またその身は中人以上の地位にあり、世人あるいはわが輩の所業をもって標的となす者あるべし。しからばすなわち今、人に先だって事をなすはまさにこれをわが輩の任と言うべきなり。
 そもそも事をなすに、これを命ずるはこれを諭《さと》すに若《し》かず、これを諭すはわれよりその実の例を示すに若かず。然りしこうして政府はただ命ずるの権あるのみ、これを諭して実の例を示すは私の事なれば、わが輩まず私立の地位を占め、あるいは学術を講じ、あるいは商売に従事し、あるいは法律を議し、あるいは書を著《あら》わし、あるいは新聞紙を出版するなど、およそ国民たるの分限に越えざることは忌諱を憚《はばか》らずしてこれを行ない、固く法を守りて正しく事を処し、あるいは政令信ならずして曲を被《こうむ》ることあらば、わが地位を屈せずしてこれを論じ、あたかも政府の頂門に一針を加え、旧弊を除きて民権を恢復《かいふく》せんこと方今至急の要務なるべし。
 もとより私立の事業は多端、かつこれを行なう人にもおのおの所長あるものなれば、わずかに数輩の学者にて悉皆その事をなすべきにあらざれども、わが目的とするところは事を行なうの巧みなるを示すにあらず、ただ天下の人に私立の方向を知らしめんとするのみ。百回の説諭を費やすは一回の実例を示すに若かず。今われより私立の実例を示し、「人間の事業はひとり政府の任にあらず。学者は学者にて私に事を行なうべし、町人は町人にて私に事をなすべし、政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべし」との趣を知らしめなば、人民ようやく向かうところを明らかにし、上下固有の気風もしだいに消滅して、はじめて真の日本国民を生じ、政府の玩具たらずして政府の刺衝となり、学術以下三者もおのずからその所有に帰して、国民の力と政府の力と互いに相平均し、もって全国の独立を維持すべきなり。
 以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。

    付録

 本論につき二、三の問答あり、よってこれを巻末に記す。
 その一にいわく、「事をなすは有力なる政府によるの便利に若《し》かず」と。答えていわく、「文明を進むるはひとり政府の力のみに依頼すべからず、その弁論すでに本文に明らかなり。かつ政府にて事をなすはすでに数年の実験あれどもいまだその奏功を見ず、あるいは私の事もはたしてその功を期し難しといえども、議論上において明らかに見込みあればこれを試みざるべからず。いまだ試みずしてまずその成否を疑う者はこれを勇者と言うべからず」
 二にいわく、「政府、人に乏し、有力の人物、政府を離れなば官務に差しつかえあるべし」と。答えていわく、けっして然《しか》らず、今の政府は官員の多きを患《うれ》うるなり。事を簡にして官員を減ずれば、その事務はよく整理してその人員は世間の用をなすべし、一挙して両得なり。ことさらに政府の事務を多端にし、有用の人を取りて無用の事をなさしむるは策の拙なるものと言うべし。かつこの人物政府を離るるも去りて外国に行くにあらず、日本に居て日本の事をなすのみ、なんぞ患《うれ》うるに足らん」
 三にいわく、「政府のほかに私立の人物、集まることあらば、おのずから政府のごとくなりて、本政府の権を落とすに至らん」と。答えていわく、「この説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。ただ地位を異にして事をなすのみ。その実は相助けてともに全国の便利を謀《はか》るものなれば、敵にあらず真の益友なり。かつこの私立の人物なる者、法を犯すことあらばこれを罰して可なり、毫《ごう》も恐るるに足らず」
 四にいわく、「私立せんと欲する人物あるも、官途を離るれば他に活計の道なし」と。答えていわく、「この言は士君子の言うべきにあらず。すでにみずから学者と唱えて天下の事を患うる者、豈《あに》無芸の人物あらんや。芸をもって口を糊《こ》するは難きにあらず。かつ官にありて公務を司《つかさど》るも私にいて業を営むも、その難易、異なるの理なし。もし官の事務|易《やす》くしてその利益私の営業よりも多きことあらば、すなわちその利益は働きの実に過ぎたるものと言うべし。実に過ぐるの利を貪《むさぼ》るは君子のなさざるところなり。無芸無能、僥倖《ぎょうこう》によりて官途につき、みだりに給料を貪りて奢侈《しゃし》の資となし、戯れに天下のことを談ずる者はわが輩の友にあらず」
[#改段]

 五編

 

 

『学問のすすめ』はもと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までも勉《つと》めて俗語を用い文章を読みやすくするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく文の体を改めてあるいはむずかしき文字を用いたるところもあり。またこの五編も明治七年一月一日、社中会同の時に述べたる詞《ことば》を文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異ならずしてあるいは解《げ》し難きの恐れなきにあらず。畢竟《ひっきょう》四、五の二編は学者を相手にして論を立てしものなるゆえ、この次第に及びたるなり。
 世の学者はおおむねみな腰ぬけにてその気力は不慥《ふたし》かなれども、文字を見る眼はなかなか慥かにして、いかなる難文にても困る者なきゆえ、この二冊にも遠慮なく文章をむずかしく書きその意味もおのずから高上になりて、これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめの趣意を失いしは、初学の輩《はい》に対してはなはだ気の毒なれども、六編より後はまたもとの体裁に復《かえ》り、もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供しさらに難文を用いることなかるべきがゆえに、看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。

   明治七年一月一日の詞

 わが輩今日慶応義塾にありて明治七年一月一日に逢《あ》えり。この年号はわが国独立の年号なり、この塾はわが社中独立の塾なり。独立の塾に居《い》て独立の新年に逢うを得《う》るはまた悦《よろこ》ばしからずや。けだしこれを得て悦ぶべきものは、これを失えば悲しみとなるべし。ゆえに今日悦ぶの時において他日悲しむの時あるを忘るべからず。
 古来わが国治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし所以は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃、外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、いまだ他に対して鋒《ほこさき》を争いしものにあらず。これを譬《たと》えば、小児の家内に育せられていまだ外人に接せざる者のごとし。その薄弱なることもとより知るべきなり。
 今や外国の交際にわかに開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、ただに三舎を譲るのみならず、これに倣《なら》わんとしてあるいは望洋の歎を免れず、ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。
 国の文明は形をもって評すべからず。学校と言い、工業と言い、陸軍と言い、海軍と言うも、みなこれ文明の形のみ。この形を作るは難《かた》きにあらず、ただ銭をもって買うべしといえども、ここにまた無形の一物あり、この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、売買すべからず、貸借すべからず、あまねく国人の間に位してその作用はなはだ強く、この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。けだしその物とはなんぞや。いわく、人民独立の気力、すなわちこれなり。
 近来わが政府、しきりに学校を建て工業を勧め、海陸軍の制も大いに面目を改め、文明の形、ほぼ備わりたれども、人民いまだ外国へ対してわが独立を固くしともに先を争わんとする者なし。ただにこれと争わざるのみならず、たまたまかの事情を知るべき機会を得たる人にても、いまだこれを詳《つまび》らかにせずしてまずこれを恐るるのみ。他に対してすでに恐怖の心をいだくときは、たとい、我にいささか得《う》るところあるもこれを外に施すに由なし。畢竟、人民に独立の気力あらざれば、かの文明の形もついに無用の長物に属するなり。
 そもそもわが国の人民に気力なきその原因を尋ぬるに、数千百年の古《いにしえ》より全国の権柄を政府の一手に握り、武備・文学より工業・商売に至るまで、人間些末の事務といえども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府の嗾《そう》するところに向かいて奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるがごとし。すでに無宿の食客となりてわずかにこの国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること逆旅《げきりょ》のごとく、かつて深切の意を尽くすことなく、またその気力を見《あら》わすべき機会をも得ずして、ついに全国の気風を養いなしたるなり。
 しかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞《ちょたい》する者はあるべからざるの理なり。今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴《おもむ》けり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するにあらず、ただこれを恐れて服従の容《かたち》をなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷《びんしょう》にして、かつて事の機に後《おく》るることなし。一新の後、いまだ十年ならずして、学校・兵備の改革あり、鉄道・電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、実に人の耳目を驚かすに足れり。しかるにこの学校・兵備は、政府の学校・兵備なり、鉄道・電信も、政府の鉄道・電信なり、石室・鉄橋も、政府の石室・鉄橋なり。人民はたしてなんの観をなすべきや。人みな言わん、「政府はただに力あるのみならず兼ねてまた智あり、わが輩の遠く及ぶところにあらず、政府は雲上にありて国を司り、わが輩は下にいてこれに依頼するのみ、国を患《うれ》うるは上の任なり、下賤の関わるところにあらず」と。概してこれを言えば、古《いにしえ》の政府は力を用い、今の政府は力と智とを用ゆ。古の政府は民を御するの術に乏しく、今の政府はこれに富めり。古の政府は民の力を挫《くじ》き、今の政府はその心を奪う。古の政府は民の外を犯し、今の政府はその内を制す。古の民は政府を視《み》ること鬼のごとくし、今の民はこれを視ること神のごとくす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。この勢いに乗じて事の轍《てつ》を改むることなくば、政府にて一事を起こせば文明の形はしだいに具わるに似たれども、人民にはまさしく一段の気力を失い文明の精神はしだいに衰うるのみ。
 いま政府に常備の兵隊あり、人民これを認めて護国の兵となし、その盛んなるを祝して意気揚々たるべきはずなるに、かえってこれを威民の具とみなして恐怖するのみ。いま政府に学校、鉄道あり、人民これを一国文明の徴として誇るべきはずなるに、かえってこれを政府の私恩に帰し、ますますその賜に依頼するの心を増すのみ。人民すでに自国の政府に対して萎縮《いしゅく》震慄の心をいだけり、豈《あに》外国に競うて文明を争うに遑《いとま》あらんや。ゆえにいわく、人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、かえって民心を退縮せしむるの具となるべきなり。
 右に論ずるところをもって考うれば、国の文明は上《かみ》政府より起こるべからず、下《しも》小民より生ずべからず、必ずその中間より興りて衆庶《しゅうしょ》の向かうところを示し、政府と並び立ちてはじめて成功を期すべきなり。西洋諸国の史類を案ずるに、商売・工業の道、一として政府の創造せしものなし、その本《もと》はみな中等の地位にある学者の心匠に成りしもののみ。蒸気機関はワッ卜の発明なり、鉄道はステフェンソンの工夫《くふう》なり、はじめて経済の定則を論じ商売の法を一変したるはアダム・スミスの功なり。この諸大家はいわゆるミッヅル・カラッスなる者にて、国の執政にあらず、また力役《りきえき》の小民にあらず、まさに国人の中等に位し、智力をもって一世を指揮したる者なり。その工夫発明、まず一人の心に成れば、これを公にして実地に施すには私立の社友を結び、ますますその事を盛大にして人民無量の幸福を万世に遺《のこ》すなり。この間に当たり政府の義務は、ただその事を妨げずして適宜に行なわれしめ、人心の向かうところを察してこれを保護するのみ。
 ゆえに文明の事を行なう者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり。これをもって一国の人民あたかもその文明を私有し、これを競いこれを争い、これを羨みこれを誇り、国に一の美事あれば全国の人民手を拍《う》ちて快と称し、ただ他国に先鞭を着けられんことを恐るるのみ。ゆえに文明の事物|悉皆《しっかい》人民の気力を増すの具となり、一事一物も国の独立を助けざるものなし。その事情まさしくわが国の有様に相反すと言うも可なり。
 今わが国においてかのミッヅル・カラッスの地位に居《お》り、文明を首唱して国の独立を維持すべき者はただ一種の学者のみなれども、この学者なるもの時勢につき眼を着すること高からざるか、あるいは国を患《うれ》うること身を患うるがごとく切ならざるか、あるいは世の気風に酔いひたすら政府に依頼して事をなすべきものと思うか、おおむね皆その地位に安んぜずして去りて官途に赴き、些末の事務に奔走していたずらに身心を労し、その挙動笑うべきもの多しといえども、みずからこれを甘んじ、人もまたこれを怪しまず、はなはだしきは「野《や》に遺賢なし」と言いてこれを悦ぶ者あり。もとより時勢の然らしむるところにて、その罪一個の人にあらずといえども、国の文明のためには一大災難と言うべし。文明を養いなすべき任に当たりたる学者にして、その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、実に長大息すべきなり、また痛哭《つうこく》すべきなり。
 ひとりわが慶応義塾の社中はわずかにこの災難を免れて、数年独立の名を失わず、独立の塾にいて独立の気を養い、その期するところは全国の独立を維持するの一事にあり。然りといえども、時勢の世を制するやその力急流のごとくまた大風のごとし。この勢いに激して屹立《きつりつ》するはもとより易《やす》きにあらず、非常の勇力あるにあらざれば、知らずして流れ識《し》らずして靡《なび》き、ややもすればその脚を失するの恐れあるべし。そもそも人の勇力はただ読書のみによりて得べきものにあらず。読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず。わが社中すでにその術を得たる者は、貧苦を忍び艱難《かんなん》を冒して、その所得の知見を文明の事実に施さざるべからず。その科《とが》は枚挙に遑《いとま》あらず。商売勤めざるべからず、法律議せざるべからず、工業起こさざるべからず、農業勧めざるべからず、著書・訳術・新聞の出版、およそ文明の事件はことごとく取りてわが私有となし、国民の先をなして政府と相助け、官の力と私の力と互いに平均して一国全体の力を増し、かの薄弱なる独立を移して動かすべからざるの基礎に置き、外国と鋒《ほこさき》を争いて毫《ごう》も譲ることなく、今より数十の新年を経て、顧みて今月今日の有様を回想し、今日の独立を悦ばずしてかえってこれを愍笑《びんしょう》するの勢いに至るは、豈《あに》一大快事ならずや。学者よろしくその方向を定めて期するところあるべきなり。
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